正月TVは「金太郎飴」か!文句垂れつつ、結局コタツの番人や

正月のTVは同じ芸人が同じようなテンションで騒ぐのが決まりか!

「またお前か!」 テレビに向かって、この日5回目のツッコミを入れる。これが我が家の正月の始まりですわ。 チャンネルを回せど回せど、右を見ても左を見ても、同じ芸人が同じようなテンションでギャーギャー騒いどる。 **「これ、去年の録画ちゃうか?」**と番組表を確認するのも、もはや正月のルーティンですな。

 

町内回覧板よりたんと回ってくる「あの顔、この顔」

まずは、人気芸人たちの「大移動」や。Aチャンネルで漫才してたと思ったら、Bチャンネルではひな壇に座り、Cチャンネルでは体を張っとる。これ、テレビ局の垣根を越えた「町内回覧板」並みのスピード感やで。

正月のテレビは、まるで毎年同じ芸人が同じような芸で騒ぎまくっとるだけやと文句言いながら、いつの間にか見てもうてるわ。

おせちを箸で突きながら、「もうええわ!」とリモコンを投げそうになっても、気づけばその喋り方が耳に残って、自然と正月のリズムに乗せられてしまうんや。

正月のテレビは、飽きるどころか、いつの間にか心に染みついてしまう不思議な魅力があるんやな。これもまた、正月の風物詩の一つやと思うわ。

 

女芸人のパワーに、老夫婦は圧倒されっぱなし

次にやってくるのが、女芸人たちのパワー炸裂バラエティ。 タイトルは毎年変わるけど、中身は安定のマンネリ(笑)。

「またこれかいな」と毒づきながらも、画面いっぱいのあの熱量を見せつけられると、ついつい最後まで見てまう。

特に、「正月やから許されるアホらしさ」いう感覚は、多くの人が感じるところや。マンネリやとわかってても、それがなかったら正月の気分が盛り上がらんちゅう、微妙な心理が働いとるんやな。

人間は、こうした習慣や伝統に対して勝手な側面を持ってて、それが心の安定や安心感をもたらすんや。このような番組の持つ一種の安心感と、毎年変わらん熱量は、視聴者にとって大きな癒しと楽しみを提供しとるんやろな。

 

おせちでお腹パンパンやのに、料理番組?

毎年正月のテレビは、同じ芸人が同じような芸で騒ぎまくっとるだけやと文句言いつつも、いつの間にか見てもうてる自分に気付くわ。

特におせち料理のシーンは、見飽きへん。山ほど詰まった重箱を前に、家族みんなで笑いながらつつくのが正月の風景やけど、テレビの料理番組はちょっと違う。

冷蔵庫には、ばあちゃんが腕を振るったおせちがぎっしり詰まっとるのに、「プロが教える!極上の家庭料理」なんてやっとる。

正直、「今さら作り方教わっても、もう入れる隙間(胃袋も冷蔵庫も)おまへんで!」とツッコミたくなるわ。

二人でテレビを見ながら、箸を動かしつつも、内容は頭に入らへん。ただただ、箸だけが進むだけや。結局、テレビの内容はどうでもええけど、食べることだけは止まらへんのが正月の不思議やな。

 

騒がしいテレビが、夫婦の「静かさ」を包んでくれる

結局のところ、文句を言うて、ぼやいて、アホやなと笑う。これが正月の「魔力」なんやと思います。

年始に立てた立派な計画も、テレビの騒がしさに溶けて消えていく。 でもな、高齢者夫婦二人きりの静かな部屋に、あのテレビの「ガヤ」があるからこそ、普段の厳しい寒さや生活の疲れを忘れて、ぼーっとできるんや。

福笑いでひっくり返るような大騒ぎはなくても、テレビの向こうの笑い声に誘われて、ふっと口角が上がる。画面の向こうでは、まぶしいほど綺麗な晴れ着姿の若い女優さんたちが、これでもかと微笑んどる。

それを眺めているうちに、ふと思うんですわ。 「うちの奥さんも、昔はあんな風に華やかやったんかな。いや、苦労ばかりかけて、いつの間にかこんなに月日が流れてしもた。

ようここまでついてきてくれたな、おおきに」……なんて、標準語で言うなら「うちのかみさん、ありがとう」ってなもんでっか。

喉元まで出かかっとるんやけど、これがどうにも照れくさくて、口からは「おい、お茶淹れてくれへんか」なんて、全然違う言葉が出てまう。

正月の騒がしいテレビは、そんな私の「不器用な照れ隠し」も、全部笑い声で包み隠してくれる。 来年も、再来年も、こうやって二人で文句を言いながら、似たようなテレビを見て笑っていられたら。 それが一番の「福」なんやろな、と。

チャンネルを回す手にも、ちょっとだけ、いつもより優しい力が入る正月になればエエなぁ。「来年もまた、同じような番組見て文句言うてられたら、それが一番の幸せやな」 ばあちゃん、いや奥さんの横顔を見ながら、そんなことを思いながらの令和の正月にまたなるんやろなぁ。

 


2025/12/26

 

 

 

 

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